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第1章 動きはじめる市町村合併

1.加速する国や県の動き

 宮古でようやく動き始めた市町村合併だが、沖縄県では動きが加速し始めていた。いや、国からの強力なプレッシャーで動きを加速しなければならなくなった、というのが本音だったかもしれない。ただ、久米島の具志川村と仲里村の合併は具体的な協議が進んでおり、2年後の平成14年4月1日の合併を目指していたこと、また、この合併が当初計画では平成12年4月1日を予定していたが「いろいろな事情があり、特に事務局体制が弱いという指摘があった」(内間清六具志川村長)ことから先送りされていたことで、県としても国の推進する政策ゆえに支援していく必要に迫られていたこともある。
 さらに、自治省が県と琉球新報社と合同で主催し「市町村合併をともに考える全国リレーシンポジウム」が那覇市で開催されたことも県内市町村が自らの合併を考えるきっかけになった。

国も市町村合併推進にさらにアクセルを踏む。
西田司自治相は和歌山県の市長村長を前に「市町村はもっと危機意識を持った方がいい。合併はもはや避けて通れない課題だ」「国が(市町村の)面倒をみる時代は終わった」と訴えたとの報道があったり、合併後の市昇格要件を4万人以上から3万以上に引き下げたり、都道府県に合併パターンを作成するよう指示したりといったものだ。
 また、ある地域で住民発議による合併協議会設置案を議会が否決して振り出しに戻るという事案が発生した後、自治省は「住民発議が議会で否決されても住民投票で過半数の賛成を得られれば投票結果を優先し、議会の同意なしで協議会が設置できる制度を導入する方針を出した。

2.宮古でも動き出した合併

 そして宮古でも宮古毎日新聞社が市長村長に市町村合併に関するアンケートを実施し公表した。その内容はいま読み返しても興味深いので紹介したい。

 「宮古の市町村合併は必要か」との質問に「ぜひ必要」と答えたのが平良市長、伊良部町長、多良間村長の3人。「どちらかといえば必要」が城辺町長、「現段階では何とも言えない」が下地町長と上野村長である。
 また合併の時期については「今すぐにでも取り組んだ方がよい」が平良市長と多良間村長、「機運が盛り上がった時点で取り組む」が城辺町長、下地町長、上野村長、「伊良部大橋が完成する10年後」は伊良部町長である。
 合併の必要性についても「行政サービスの向上、職員の資質向上等」「国からの交付金に頼った行政運営から財政面でも自立する必要がある」、「これまで圏域的課題を成功させた宮古魂の結束が必要」と必要性を強調する声がある一方「これまで議論したこともない。まずは議論のスタートに就くことが先決」「地方自治の発展は合併ありきか。押し付けられた合併議論はいけない」などと国、県レベルで先行する「合併ありき」の議論に注文をつける意見もある。

 いよいよ宮古の市町村長にも市町村合併を自らのこととして受け止めて住民に説明しなければならない段階になってきた。

3.住民からの新聞投稿

 この頃になると住民からも市町村合併についての新聞投稿がみられるようになった。
 平成12年11月11日の県紙には次のような投稿が掲載された。
 「地方分権一括法が本年4月から施行され・・介護保険、ごみ処理、消防、少子高齢化対策など行政の効率化や向上が叫ばれ・・財政基盤の整備も大きな課題である」として過去の那覇市や沖縄市、糸満市、石垣市、名護市などの合併の例をあげながら「県は国と市町村の間に立って積極的に調整力、指導力を発揮して成功に導いてほしい」。この方は県職員OBだということで県に対しての激励文である。

一方で平成12年11月18日の地元新聞には次のような投稿が掲載された。
 「合併となると(各市町村には)長い年月をかけて培ってきた歴史・文化・伝統など様々な問題が多い。これらの問題をクリアしなければ難しい」としながらも「地方分権は絶対的とは思わない」が「市町村を取り巻く財政状況は厳しい・・のが現状である」として合併の必要性は理解しながらも「伊良部・多良間のように隔絶された離島・・などを同一条件で事を運ぼうとすると差別につながりかねない」との警鐘も鳴らし「責任ある方々の努力を賜うものである」と結んでいる。この方は伊良部町在住である。

この2つの投稿から見えてくるのは、行政側としては「合併は必要不可欠である」との立場に立っているが、住民側としては市町村の実情を踏まえ、行政の独断専行にならぬよう性急な議論をけん制している。

まさにその後の合併議論の論点を示唆するような内容である。

4.国の合併促進と市町村の懸念

 国は、全国で約3,200ある市町村を当面1,000程度にするという数値目標を掲げ、特別交付税での合併財政支援や、政府内に「市町村合併支援本部」を設置するなど、さらに合併推進メニューを強化。自治省は「あとは地方のやる気次第だ」とあくまで強制ではない自主的な市町村合併を促す姿勢をとった。
 「何のための合併か」「合併の理念や目的が何ら示されないまま(合併後の)市町村の数値目標が示されるなど性急な動きが活発化している」当時の全国町村会長は開催された大会のあいさつのなかで警戒心をあらわにし「町村の自主的な判断を尊重することが大事だ」と来賓の森喜朗首相を前に語気を強めた。舞台には「強制するな。市町村合併」のだれ幕、大会宣言でも「自主的合併」を訴えたという。

 1,000という数値目標には市町村はもとより、自治省までも「数値の根拠がない。市町村の役割の議論も深まっていない」と懸念するように政治主導で合併議論は進んだ印象がある。
 沖縄でも県紙のアンケートによれば合併による住民サービスの低下などを懸念する声が市町村長からあがる。
 一般論としての必要性は8割を超えるが、首長自身の自治体の必要性になると半数程度になり、必要なしとの回答も少なくない。また、合併のデメリットとして51件挙がるなど市町村によって認識に大きな差があることが明らかになる。

5.県の示した合併パターン

 12月に入り、県から沖縄県市町村合併促進審議会に対して「市町村合併の推進のための要綱(案)」が諮問され、県内53市町村を12の区域に分ける基本形としての合併パターンが提案される。それによると宮古地区は基本形として6市町村を1自治体とする案と「平良市、伊良部長、多良間村」と「城辺町、下地長、上野村」がそれぞれ合併するという2つの案が示された。各々の合併パターンには様々な効果が挙げられたが、端的に言えば「理想は6市町村だが、合併しやすいパターンは『平良と離島』と『農村部』に分けた」だけのことだった。この2つの合併パターンを示したことが後々合併議論の混迷を招いていくことになる。

 この会議に参加した平良市長は「(宮古は)トライアスロンなどで合併への下地はある。しかし住民がメリット、デメリットを十分理解していない」と啓蒙の必要性を訴え「地元の意見もよく聞きたい」と性急な議論に警戒感を示している。

6.12月議会での議論

 県の合併パターンが明らかになった時を同じくして多くの市町村が12月議会開会中であり、そのなかでも合併に関する議論が出始めていた。

 上野村長は合併に関する一般質問に対し「私個人としては長期的には必要と考えている。しかし早急にできるかというとクリアすべきことが多い。住民感情というものもあり慎重に進めていきたい。今後意見交換をしていきたい」旨述べている。

 下地町長は市町村合併について「行政主導型ではまずい。将来的には合併は必要。伊良部架橋後に宮古は一つがベター」などと前向きな答弁している。
 この下地町議会12月定例会では「市町村合併に関する調査特別委員会設置に関する決議」が全会一致で可決されている。「市町村合併に関する調査特別委員会」が設置されるのは宮古地区では初めてであった。
 下地町は過去に平良市との合併の動きがあったが、同町で激しい反対運動が起こり町長や議会のリコール運動にまで発展。合併構想が白紙に戻った経緯があった。

 城辺町長は「時期については明言できない」としたものの「時代に流れであり合併しなければいけないと考えている。住民のみなさんの合意形成が必要。行政主導によって誠意をもって進めたい」「最終的には住民投票で決定したい」旨の前向きな考えを示している。

 平良市長は自治省の資料による合併の財政支援策を具体的に示しながら「6市町村合併だと382億円、3市町村合併だと151億円の合併特例債が出る」「市町村合併は否応なしに迫ってくる」「合併特例債を活用するためにも市町村合併を真剣に考えなければならない」と意欲を示している。

7.「平良市市町村合併研究会」の発足

 宮古の市町村議会でも合併論議が出始めると、平良市の係長以下約20名の若手で構成する勉強会「平良市市町村合併研究会」が発足する。
 会独自で勉強会などを開催し、合併についての情報収集を行うとともに、宮古の地域ごとの財政事情や合併の長所、短所などについて論議し、市民への周知を図るため分かりやすい資料作りを目的としたものだ。
 そして年が明けた平成13年2月に、市民をはじめ、地域住民に市町村合併について考えてもらおうと、市町村合併を考えるパンフレット「『市町村合併』ってなに?」を発行する。A4版で12ページ、1万5千部を印刷した。
 パンフレットでは、地方交付税制度について「親(国)からの仕送りに頼る子供(地方)」に例え、親の借金が膨らみ子供たちへの仕送りが厳しくなっている国と地方の財政事情を指摘、市町村合併で財政の立て直しを図ろうとする国の事情を説明するほか、住民の日常生活の拡大や少子高齢化の進展、地方分権の推進、広域的な行政課題の拡大などを合併の理由に挙げる。
 合併の長所としては「宮古全域を視野に入れた計画的な開発事業や公共施設整備」を掲げるが、一方で「市街地と周辺部との地域格差の拡大」や「議員数の減少により地域の意見が行政に反映されにくい」などの欠点も指摘している。また、新市建設計画の策定や旧市町村ごとの地域審議会の設置など法的な施策も紹介されている。

 このパンフレットは平良市の全世帯に配布された。
 このパンフレット配布について県紙へ投稿があったので一部抜粋する。
「平良市の若手職員たちは市町村にとってこの時期に最も大切な働きをしてくださったものと心の中で喝さいを叫びました」「この地道な働きとパンフレットは全県的にすばらしい啓発の書となり合併促進の原動力となるでありましょう」。平良市市町村合併研究会のみなさん、お疲れさまでした。

8.市町村合併を巡る動向

 国の合併推進政策に後押しされるように県の動きも活発化する。  
 まず、県内市町村長・議長を対象に「市町村合併に関するアンケートが実施される。回答者81人のうち6割にあたる50人が、合併の検討が「必要」または「どちらかといえば必要」と答え、「不要」との認識を示した21人を大きく上回る。また、5千人の県民を対象としたアンケート結果では「わからない」「無回答」が34%と高い比率となり、回答率も13%にとどまったことで、市町村合併が県民に浸透していない結果となった。
 第3回沖縄県市町村合併促進審議会では「市町村合併の推進のための要綱(案)」が議論され、宮古の取り組みについて意見を求められた平良市長は「伊良部町が合併に熱心だと聞いている。平良市、伊良部町の合併か、それに多良間を加えるパターンが最も実現性がある」と述べている。
 審議会では前述のアンケート結果も報告され、宮古地区では合併して1つの自治体にまとめるとの意見が多かった。
 宮古の動きとしては、ある団体の開催した「21世紀新春フォーラム」で講演した地元出身の国会議員が「5年以内で無理なら10年の間に合併の方向で覚書を交わしてはどうか。5月ごろまでには判断すべきだ」と首長らに合併を促している。
 また、下地町では沖縄県の市町村合併担当者を招き、町長ら三役をはじめ全職員を対象とした「宮古地区の市町村合併に関する研修会」を開催しており、講師は国の地方交付税や国庫支出金の動きを説明し、合併のメリットやデメリットについて各地域で早めに議論するよう促している。
 市民レベルでは、新聞投稿で「合併特例法では財政支援策を打ち出している。住民の生活圏も広域化している」と訴えて「当局には住民意識の昂揚を図っていただきたい」旨の合併推進の意見が出る一方で、「地域は先達が残したもの、歴史の積み重ねによって形成され、地域の良さや特異性が地域振興に役立つ。単に財政的な効率のみを基準としては住民の理解は得られない」と拙速な議論を戒めている。

9.市町村合併の県内外の動き

 沖縄県は、自主的な市町村合併を、県の各部・関係機関が一体となって支援・推進する「県市町村合併支援本部」を設置し、本部長の県知事は「合併は市町村の自主的・主体的な取り組みが必要。県も積極的に取り組む」とあいさつした。支援本部には宮古支庁長も参加し、宮古での説明会や意見交換会など年間のスケジュールも確認された。
 また、すでに法定の合併協議会を設置した仲里・具志川両村の合併に向けての各種支援を行い、7月の合併協定調印を目指すことも確認されている。
 さらに、県と、具志川市、与那城町、勝連町の意見交換会が開催され、各市町の担当者間で合併について研究していくほか、住民への情報提供を目的として商工会など各種団体を招いて講演会を開催することを確認しているなど、初めて具体的な取り組みが示された。その後、3市町の職員を対象とした合同勉強会を開催。さらに住民対象に合併講演会を開催し、その中で講師は「合併は唯一の選択肢ではないが有力な手段」として住民に対し前向きに取り組んでもいいのではないか」と提案している。
 うるま市誕生にむけて地域での取り組みが動き始める。

 国の方では小泉内閣による財政構造改革が強力に推し進められる。
 まず予算編成の歳出削減についての国会答弁で「地方に行くところ(補助金等)と公共事業は削減の対象となる」として公共事業のほかに地方への補助金と地方交付税の削減を検討する方針を表明する。その3日後、財務相は具体的に地方交付税制度の見直しとして人口の少ない自治体への配分を増やす「段階補正」などを早期に見直すことを明言。さらに地方単独事業のなかで地方交付税により返済が手当てされる有利な地方債「地域総合整備事業」を今後認めない方針を打ち出す。中小規模市町村には厳しい見直しであり、これも国の合併推進の表れである。
 こうした国の取り組みにより、全国で3,224市町村のうち4分の1に当たる833市町村が首長や議会、市町村職員らによる合併協議会や研究会を設置していることが総務省の調査で明らかになるなかで、埼玉県の浦和、大宮、与野3市の対等合併で100万都市の「さいたま市」が誕生した。

10.兵庫県篠山市を視察

 平成13年3月25日に幕を開けた第73回春の甲子園は、21世紀枠で初出場を果たした沖縄県代表の宜野座高校が1回戦で岐阜第一を7対2で破り歴史的初勝利を挙げると、続く2回戦では優勝候補の桐光学園を4対3で破りベスト8、ベスト4をかけた浪速戦は延長11回のすえ4対2で下し準決勝進出を決めるなど宜野座旋風が巻き起こっていた。

 ちょうどその時期、私は「平良市市町村合併研究会」として上司の室長補佐と2人で兵庫県篠山市を視察した。
 篠山市は兵庫県中東部の旧多紀郡の4町が合併して誕生した。当時、国の支援する市町村合併にいち早く取り組んだ自治体として脚光を浴びた、いわば模範生である。
 同時に、この合併が4自治体の合併であること。また、昔から1つの地域・生活圏を形成していることや人口や面積が宮古と同規模であること。さらには旧多紀郡として、し尿処理やごみ処理、消防、農業共済を共同処理し、水資源対策、ごみ処理施設改築や葬祭場建設など広域的課題が宮古と共通している事で視察先とした。

 篠山市は宿泊先からJR西日本の福知山線で1時間ほどであったように覚えている。
 当時の本庁があった旧篠山町役場庁舎を訪れ担当者から話を聞くことができた。実はこの時はすでに合併から2年ほど経過していて、合併を担当してきた職員も別の部署に人事異動していたとのことで、わざわざ自分の業務を離れて時間を割いて対応してもらったのには恐縮した。
 質問したのは主に「各市町村で格差のある国保税、使用料や手数料などをどのようにすり合わせたか」「合併に反対する運動への対応」「旧庁舎の活用方法」「選挙の方法」であった。
 「旧庁舎の活用方法」については分庁・支所方式を採用しているのはその後に合併する宮古島と同じであり、「選挙の方法」についても人口の少ない自治体は議員が出しにくいのでは、ということで選挙区の話もあったようだが、4町間の人口の流入出なども盛んであり選挙結果は人口の影響は無かったとのことであった。
 また篠山市の場合、各議会が主導となった合併だったことも説明された。
 その後、各庁舎(支所)やリーディングプロジェクト事業の現場を視察、また最寄りの駅では合併について住民に話を聞くなど収穫の多い視察となった。
 この視察の報告として2か月後の5月中旬に平良市市町村合併研究会が「市町村合併で行政視察~兵庫県篠山市を訪ねて~」との広報パンフレットを作成し発行している。

 なお、篠山町から篠山市となって20年近くたった平成30年11月18日、市の名称を変更する住民投票が可決され、平成31年5月1日から「丹波篠山市」に名称変更することになった。

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